友情 自由 信頼

調布で生まれたこの歌の心を、これからも歌い継いでいきたい!
日本中、世界中の人たちに伝えていきたい! 
未来の子どもたちに伝えたい!
そんな思いを込め、市民有志で「この歌を伝え広めるための活動」と「歌のモニュメントとして歌を残す活動」を始めました!


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「今日の日はさようなら」
誕生秘話

「今日の日はさようなら」は、いまからほぼ半世紀前の1966年、調布で生まれました。
子ども会活動をしていたボランティア・グループの若者たちが、つどいの最後に「また会おう」の思いを込め、作詞・作曲した金子詔一さんのギター伴奏で声を合わせて歌った曲です。
その後この歌は、森山良子さんの歌声やNHKの「みんなの歌」などを通して全国に知られるようになり、「親子で歌い継ぐ日本の歌百選」、「来世紀まで伝えたい日本の歌100選」にも選ばれ、いまも多くの人たちに愛唱されています。

 「今日の日はさようなら」の歌が生まれた「ハーモニーサークル」は、1960 年代初め、警視庁職員だった大野重男さんが、8年間勤めた少年課を辞め10数人の青年たちと東京都内に立ち上げました。子ども会活動や養護施設訪問などが中心でしたが、その後大野さんは、集団就職などで慣れない都会の生活に苦労している若者たちの相談相手になろうと、調布市柴崎に一軒家を借りて新たなボランティア活動を始めました。
 大野さん、金子さんの呼びかけに、市内のおそば屋さんやクリーニング店などで働いていた若者たちが次々と集まり、やがて活動の拠点は手狭になった大野さんの家から児童館に移りました。調布で新たな第一歩を踏み出した「ハーモニーサークル」は、その後、子どもたちにキャンプ体験などを指導する地域ボランティアとして活躍。ポニーの乗馬体験を取り入れたユニークな野外活動を中心に各地に組織を広げ、その活動はいまも青少年教育に取り組む「公益財団法人 ハーモニィセンター」に受け継がれています。
 「今日の日はさようなら」は、初めてのオリンピックが東京で開催され、日本が高度経済成長期へと向かう、そんな時代を支えてきた若者たちの輪の中から、ここ調布で生まれました。

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2014年10月4日 金子詔一さんとの懇談会

 2014年10月4日、「今日の日はさようなら」を作詞・作曲した金子詔一さんを訪ね、お話を伺いました。
 金子さんは、「今日の日はさようなら」という曲が出来上がった経緯と「ハーモニーサークル」での大野さんらとの活動を、語ってくださいました。

 「ハーモニーサークル」の活動を始めたころのエピソードを教えてください。
 はじめは、大野さんと「ハーモニーサークル」として子供たちと遊ぶ活動をしていました。僕は、その活動の中で、「子供が聞くような歌を歌えれば一人前」などと言って、子供とうたう活動を勧めました。
 子供のころに楽しい思いをした子供たちは、その楽しい思い出の貯金のおかげで、正しく育つ。だから子供たちと楽しく遊ぶ、というのが大野さんの持論でした。大野さんはすごい。絶え間ないユーモアがあります。働く青少年を大野さんが集めたのは、子供と遊ぶリーダーを育てる意味があったと思います。

 活動の拠点を探して、調布・柴崎に一軒家を借り、つつじヶ丘児童館で活動を始めた、と伺っていますが。
 そうです。私たちは、都内を回って、活動の拠点にできる場所を探していました。1960年代はじめ、大野さんが柴崎に一軒家を借りて、近くのつつじヶ丘児童館での活動を始めました。
 当時、まずは大学生のバンドを集めたコンサートを開く活動をしていました。ビートルズの来日後、バンドは不良というイメージがあり、児童館を使えるようになるにはしばらくかかりました。
 「今日の日はさようなら」は、田んぼの中の一軒家の大野さんのお宅で、皆で歌を歌っていた頃、「星影さやかに」に代わって最後に歌うオリジナルの歌を作ろうということになって作った曲です。譜面が書けないので、曲、歌詞はしばらく固まらなかったんです。妹の金子晴美(ジャズ歌手)に採譜してもらいました。集まっていたのは10人ほど。一人しか来ない日もありました。
 当時は、英語の歌を歌うことが流行りでしたが、多くのバンドが「ハーモニーサークル」の真似をして「今日の日はさようなら」を歌うことで、浸透していきました。児童館で歌ったのは、このコンサート活動するようになったころ。森山良子さんも仲間で、児童館のコンサートに来て歌ってくれました。

 森山良子さんも一緒に活動されていたのですね。
 はい。そういえば、ジョーン・バエズさんの来日の際に、森山良子さんとコンサートで歌う予定があったんです。ジョーン・バエズさんに日本の歌を集めて紹介したところ、「今日の日はさようなら」を気にいってもらえました。しかし、当時、森山良子さんはフィリップスと契約したばかりで、キングのジョーン・バエズとではレコード会社が異なるので、ライブレコードは出せないということで、小林万里さんと歌うことになりました。

 森山良子さんもレコードを出していらっしゃいますが、どうなのでしょうか。
 「今日の日はさようなら」の最初のレコードは、The Froggiesが出しました。彼らは今でも、隔月くらいでコンサートを開いています。チケットはすぐ完売していますよ。
 The Froggiesの後に、森山良子さんなどがいろいろな歌手によってレコード化されました。ただ、いつもB面でした。

 「今日の日はさようなら」は、「親子で歌い継ぐ日本の歌百選」や「来世紀まで伝えたい日本の歌100選」にも選ばれている名曲ですね。
 本当に、ありがたいことです。
 長く残る歌は千一(せんいち)といって、年に1000曲できる歌の1曲ほど。しかし、今でも使用許諾の依頼が年に10件ほどくる。パチンコとスロットマシンへの使用は断りましたが。
 最初は大学生のバンドの歌でしたが、最近では幼稚園でも歌われ、この歌を「童謡」だと思っている人も少なくありません。年配の方はフォークソング、キャンプソングとしてご存じのようですが、最近の若い人には「エヴァンゲリオン」の歌として知られていますね。有名アニメの「エヴァンゲリオン」の裏切りの戦闘シーンに使われるのは幼い心を踏みにじるような冷酷な世界との対比だという説明がありました。

 私たちは、この「今日の日はさようなら」の歌碑を建てようと、活動を始めました。そのことについて、今、どうお考えですか。
 「今日の日はさようなら」の歌碑を作ることで終わりでなく、歌い広めるいろいろな活動が初めにあり、そこからできていくものが大事だと思います。みんなが楽しくなって、自分から歌いたくなるようなものがいいですね。
 町のキーノートとして、夕方チャイム代わりに音が出る歌碑などが良いのでは。音が聴こえるとみんながそれぞれ曲と出会った頃のことなどを思い出して、それがきっかけで会話ができる。
 東北の震災で、石碑があちこちにできました。ただ、石碑だと誰も手入れをしなくなるので忘れられてしまう。木で作ったら、地元の人たちがみんなで手入れをするから忘れない、というアイディアを地元の若い人が言っていました。

 一番、いつまでも友達
 二番、鳥のように自由
 三番、信じあう喜び

 いずれも、大人になるに従い、その困難な課題、深い意味を思い知らされる私たちの世界ですが、来世紀までも、そして来世までも道連れにしたいと歌い継いで下さる方が多いのは、本当にありがたいことです。

 お話しを伺うことができ、大変光栄です。ありがとうございました。

(この記事は、金子さんとの打ち合わせの記録をもとに作成しました。)


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